2017年10月17日

ローマ10章20節、イザヤ65章1節

「わたしは、わたしを求めない者に見いだされ、わたしを尋ねない者に自分を現した」。

偶像を拝んでいた異邦人にも、主はご自分を現わされました。自己中心で自分の罪を悟れない者にも、主は出会いの時を用意してくださいました。ならば、主を尋ね求める者が、主を見出さないはずはありません。逃亡の旅の途中で「まことに主がこの所におられる」と知ったヤコブの感動を、私たちも体験します。
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2017年10月16日

ローマ10章18節b、詩篇19篇4節

「その声は全地に響き渡り、そのことばは地の果てまで届いた」。

主の言葉は、昔も今も変わらず私たちの耳に届いています。私たちの救いと幸いのために、まだ告げられていない真理の言葉は一つもありません。「知らなかった」では済みません。御言葉を心に響かせましょう。響かせ続けるなら、主の思いと願いが日々の暮らしに浸透していきます。無意識のうちに、主の御心を行うようになります。
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2017年10月14日

詩篇50篇23節

「感謝のいけにえを捧げる人は、わたしをあがめよう。その道を正しくする人に、わたしは神の救いを見せよう」。

感謝を表すことは、相手の存在の尊厳を高めます。神に感謝すれば、神の威光への賛美となります。神への感謝はどう表すか。自分の大切な時間や空間、富や誇りをいけにえにします。つまり、自分の良きものを惜しまず捧げることです。そうすれば、神との道が真っ直ぐにつながります。
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2017年10月13日

詩篇50篇21節

「こういうことをおまえはしてきたが、わたしは黙っていた。わたしがおまえと等しい者だとおまえは、思っていたのだ。わたしはおまえを責める。おまえの目の前でこれを並べ立てる」。

罪を犯し続けても主の裁きがないので、今回も大丈夫だと思ってはなりません。主の沈黙を恐れ、裁きの時が来る前に悔い改めましょう。主の沈黙は、主の豊かな忍耐と寛容の現われです。軽く見てはなりません。
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2017年10月12日

詩篇50篇6節

「天は神の義を告げ知らせる。まことに神こそは審判者である」。

自分の基準で、自分の行いを正当化してはいませんか。神は愛だからと言って、隠れた罪の行いを放置してはいませんか。神の義の基準で自分を見つめ直し、その上でキリストの十字架を仰ぎましょう。神の恵みの深さが見えてきます。神の義が喜びとなり、神の裁きが平安となります。人に対しても、寛容な心が持てるようになれます。
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