2018年02月24日

Iコリント2章1、2節

「私があなたがたのところへ行ったとき、私は、すぐれたことば、すぐれた知恵を用いて、神のあかしを宣べ伝えることはしませんでした。なぜなら私は、あなたがたの間で、イエス・キリスト、すなわち十字架につけられた方のほかは、何も知らないことに決心したからです」。

自分の言い分や理屈を押し通さず、十字架のキリストだけで、人と向かい合ってみませんか。あなたが楽になりますよ。
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2018年02月23日

Iコリント1章31節

「誇る者は主を誇れ」。

私たちは、聖なる全能の神だけを誇ります。私たちを愛し、私たちのためにいのちを捨てられたイエス・キリストを誇ります。慰め主、内住の聖霊を誇ります。私たちが何かを成し遂げたとしても、けっして自分自身を誇りません。「これは私ではない。主がなされたことだ」と、迷うことなく主を誇ります。主だけを誇りとする生き方が、私たちを卑屈や邪念から守ります。
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2018年02月22日

Iコリント1章27節

「神は、知恵ある者をはずかしめるために、この世の愚かな者を選び、強い者をはずかしめるために、この世の弱い者を選ばれたのです」。

これが神の選びの原則です。神は、アブラハムから使徒ペテロやパウロまで、無に等しい者や謙遜な者を選んで、神の国の働き人に立てられました。能力があっても、謙遜でなければ用いようがありません。へりくだった愚か者の方が、主にはかわいいいのです。
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2018年02月21日

Iコリント1章25節

「神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強い」。

信仰者であっても、人生の重要な選択のときに、突然、神を忘れたかのように、自分の知恵と考えで決めてしまうことがあります。神の教えが愚かに思えてしまうのです。しかし、人には、神の愚かさを超える知恵もなく、神の弱さに勝る力もありません。人の賢さではなく、神の愚かさに信頼して生きるとき、神の恵みが体験できるのです。
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2018年02月20日

Iコリント1章21節b

「それゆえ、神はみこころによって、宣教のことばの愚かさを通して、信じる者を救おうと定められたのです」。

知的理解が救いの条件なら不公平です。知的能力は人によって違うからです。しかし、十字架のことばの愚かさの前には、全ての人が平等です。信じることは、子供にも大人にもできるからです。宣教のことばが求めているのは、知的理解や弁論の巧みさではなく、ただへりくだりです。
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