2016年04月30日

第2サムエル記22章2〜4節

「主はわが巌、わがとりで、わが救い主、わが身を避けるわが岩なる神。わが盾、わが救いの角、わがやぐら。私を暴虐から救う私の救い主、私の逃げ場。ほめたたえられる方、この主を呼び求めると、私は、敵から救われる」。

私たちには、主という堅固な隠れ家があり、癒しの家があります。順境の時も逆境の時も、ここに戻り、ここで力を回復し、ここから新たに主の戦いに出て行けばいいのです。
posted by e-grape at 09:43| All | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年04月29日

第2サムエル記21章14節b

「その後、神はこの国の祈りに心を動かされた」。

ダビデは先王サウル一族に真実を尽くし、神との関係を真っ直ぐにします。すると国の祈りが神に届き、神の心を動かすようになりました。電線が切れたままでは、スイッチを入れても電気は流れません。心に疚しさがあるままで祈っても、神の力は流れてこないのです。神と関係を真っ直ぐにし、真実を尽くしましょう。つながればすぐに流れは戻ります。
posted by e-grape at 22:27| All | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年04月28日

第2サムエル記16章12節

「たぶん、主は私の心をご覧になり、主は、きょうの彼ののろいに代えて、私にしあわせを報いてくださるだろう」。

シムイは、都落ちするダビデを盛んに呪います。一方ダビデは、主がシムイに呪うことを許されたのだと、彼の呪いを動じずに受け止めます。そうすれば、主がその呪いを幸いに変えてくださる日が来ると信じていたのです。これが、人の侮辱や呪いを主からの祝福と喜びに変える道です。
posted by e-grape at 07:28| All | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年04月27日

第2サムエル記15章25節

「神の箱を町に戻しなさい。もし、私が主の恵みをいただくことができれば、主は、私を連れ戻し、神の箱とその住まいとを見せてくださろう」。

息子アブシャロムの謀反のために都落ちするダビデの言葉です。ダビデは、神の臨在である象徴する「神の箱」にこだわりません。ただ、御心にかなうことだけを第一に考えます。恵みは、泰然自若として、主の御心に委ね切った人のところに流れます。
posted by e-grape at 08:09| All | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年04月26日

第2サムエル記12章23節

しかし今、子どもは死んでしまった。私はなぜ、断食をしなければならないのか。あの子をもう一度、呼び戻せるであろうか。私はあの子のところに行くだろうが、あの子は私のところに戻っては来ない」。

あきらめず最後まで祈り続けることは大切です。でも、御心がはっきりしたら、潔く執着を断つべきです。主は新たな祝福を用意しておられます。悲しみゆえに、次の機会を失ってはなりません。
posted by e-grape at 07:44| All | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする