2017年06月30日

ローマ4章20〜22節

「彼は、不信仰によって神の約束を疑うようなことをせず、反対に、信仰がますます強くなって、神に栄光を帰し、神には約束されたことを成就する力があることを堅く信じました。だからこそ、それが彼の義とみなされたのです」。

私たちが不誠実でも、主は変わらず約束に忠実です。主に従うことに失敗しても、主に信頼する資格が失われたわけではありません。それでも信頼する人、それが義人です。
posted by e-grape at 07:15| All | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月29日

ローマ4章18節

「彼は望みえないときに望みを抱いて信じました」

望みえないときこそ、信仰です。でなければ、いつ信仰を働かせるのですか。信仰は、御言葉に対する知的同意ではありません。単なる平穏無事状態でもありません。信仰とは、暮らしの中で、現実に主の力と憐みを体験することです。試練の中でも悲しみに浸らず、絶望に身を任せず、一歩踏み出すことです。信仰は用いるために与えられています。
posted by e-grape at 07:32| All | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月28日

ローマ4章8節

「主が罪を認めない人は幸いである」。

「主が罪を認めない人」とは、信仰の原理で義とされた人です。その人は神の家族です。神の家族は、主に守られています。もはや何も恐れる必要はありません。ですから、信仰の原理以外の方法で、幸せになろうとしてはなりません。罪があるなら、隠さず告白して、主と和解しましょう。主は高らかに歌って、あなたのことを楽しみ、喜ばれます(ゼパ3:17)。
posted by e-grape at 07:40| All | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月27日

ローマ4章5節

「何の働きもない者が、不敬虔な者を義と認めてくださる方を信じるなら、その信仰が義とみなされるのです」。

これが主の恵みの原点であり、罪人の希望の源です。ここに立ち返ることが悔い改めです。ここに立てば、平安も喜びも回復します。私たちが高慢、卑屈、不安、無気力など、不信仰な状態に陥ってしまうのは、十字架の恵みという原点を忘れているからです。今日も原点から始めましょう。
posted by e-grape at 07:44| All | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月26日

ローマ3章27節

「それでは、私たちの誇りはどこにあるのでしょうか。それはすでに取り除かれました。どういう原理によってでしょうか。行いの原理によってでしょうか。そうではなく、信仰の原理によってです」。

自分の行いを心で誇ってはいませんか。まだ自分の罪深さがわかっていないのです。逆に、自分のような罪深い者は救われないと思っているなら、信仰の原理ではなく、行いの原理に立っているのです。
posted by e-grape at 08:41| All | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする