2017年07月19日

詩篇28篇7節

「主は私の力、私の盾。私の心は主に拠り頼み、私は助けられた。それゆえ私の心はこおどりして喜び、私は歌をもって、主に感謝しよう」。

主を盾とするなら、苦しみの時は必ず過ぎ去ります。人の悪意や悪口にも、主に拠り頼んで動じなければ、やがて相手が恥じ入ることになります。心躍らせ喜ぶなら、病気であっても心までは冒せません。感謝と賛美は、耐えられそうもないことを耐えさせます。
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2017年07月18日

詩篇28篇2節

「私の願いの声を聞いてください。私があなたに助けを叫び求めるとき。私の手をあなたの聖所の奥に向けて上げるとき」。

言葉に表現できない心の思いや願いを両手でつかみ出し、その手を主に向けて上げ、叫ぶのも祈りです。何事もなく平穏に暮らす日々であれば、気づかなかった主の憐みや諭しを知ることになります。苦難や閉塞を、主との交わりを深める機会にするかどうかは、私たち次第です。
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2017年07月17日

詩篇27篇14節

「待ち望め。主を。雄々しくあれ。心を強くせよ。待ち望め。主を」。

主は、あなたの行く所、どこにでもともに行かれます。あなたを見捨てられません。それゆえ雄々しくあってください。何事にもたじろいではなりません。たじろげば、心は恐れに支配され、混乱し、問題が実際よりも大きく見えてきます。落ち着いて、主を待ち望みなさい。静かにしていれば、闇に隙間ができ、主の光が届きます。
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2017年07月15日

ローマ6章4節

「私たちは、キリストの死にあずかるバプテスマによって、キリストとともに葬られたのです。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中からよみがえられたように、私たちも、いのちにあって新しい歩みをするためです」。

バプテスマとは自分の「古い人」の葬儀であり、「新しい人」の誕生です。「古い人」は罪の奴隷、「新しい人」は主の奴隷です。一度葬儀を済ませた上は、「古い人」を懐かしまず、「新しい人」の生活に馴染みましょう。
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2017年07月14日

ローマ5章20節

「しかし、罪の増し加わるところには、恵みも満ちあふれました」。

サタンは私たちを、これができていない、あれがだめだと罪や弱点を指摘し、責めたてます。死の力が私たちを支配し、無力にし、落ちこませます。しかし、私たちはすでに十字架の恵みの支配にいるのです。サタンに騙されて、律法主義の罠にはまることを繰り返していてはなりません。罪赦されているという恵みに生きれば、自ずから、主に従うことが喜びとなっていきます。
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