2017年08月26日

ローマ8章24a、25節

「目に見える望みは、望みではありません。だれでも目で見ていることを、どうしてさらに望むでしょう。もしまだ見ていないものを望んでいるのなら、私たちは、忍耐をもって熱心に待ちます」。

カイザリアに幽閉中のパウロは、地中海に沈む夕日を見つめていたことでしょう。その先にはローマがあります。そして2年後、念願のローマの地を踏みます。目に見えずとも、主の計画は進んでいます。
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2017年08月25日

ローマ8章18節

「今の時のいろいろの苦しみは、将来私たちに啓示されようとしている栄光に比べれば、取るに足りないものと私は考えます」。

こう語るパウロは、途方もない苦しみを耐え抜いた人です。耐え抜けたのは、将来、相続することになる主の栄光がどんなに偉大なものか、よく知っていたからです。その日の喜びを思えば、私たちの今の苦しみも、耐え抜く意味があります。その喜びを先取りしましょう。
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2017年08月24日

ローマ8・17b

「私たちがキリストと、栄光をともに受けるために苦難をともにしているなら、私たちは神の相続人であり、キリストとの共同相続人であります」。

キリストと共に苦しむことは、クリスチャンの喜びです。その苦難が私たちを鍛え、主の似姿に変えていくからです。苦難を忌避すれば、霊的成長は期待できません。地上の事々で一喜一憂する必要はありません。私たちは神の国を相続しているのです。
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2017年08月23日

ローマ8章15節

「私たちは御霊によって『アバ、父』と呼びます」。

なんと宇宙の創造主が私たちの父です。もし創造主がいないなら、人間は悠久の宇宙の火花です。もし創造主を父としないなら、宇宙の孤児です。しかし、私たちは父が遣わされた聖霊によって、「アバ(父さん)」と呼ぶことができます。弱さを露呈することがあっても、父の眼差しを避けてはなりません。「アバ」と囁けば、微笑んで迎えてくださいます。
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2017年08月22日

ローマ8章10節

「もしキリストがあなたがたのうちにおられるなら、体は罪のゆえに死んでいても、霊が、義のゆえに生きています」。

罪と死に縛られた自分に頼ることは、大海原を櫂(かい)で漕いで渡るようなものです。力尽きて漂流するだけです。御言葉の帆、祈りの帆、賛美の帆を上げ、聖霊の風を受け止めましょう。帆がふくらみ、しぶきを上げて前進します。主が無力な私のうちに生きておられる、と実感できます。
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