2017年09月25日

詩篇44篇17節

「これらのことすべてが私たちを襲いました。しかし私たちはあなたを忘れませんでした。また、あなたの契約を無にしませんでした」。

暴虐、嘲笑にもたじろがず、主の道から逸れませんでした。主との祝福の契約に踏みとどまりました。なのに、主は「御顔をお隠しになる」(24)のです。それでもなお、作者は主に向かい、「目を覚ましてください」(23)と叫びます。そんな不屈の信仰を主は喜ばれます。
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2017年09月23日

ローマ9章24節

「神は、この憐れみの器として、私たちを、ユダヤ人の中からだけでなく、異邦人の中からも召してくださったのです」。

理由なく神に選ばれて永遠のいのちを受けた、という感動が薄れてはいませんか。神の憐れみに感謝する熱き心が、いのちを燃やし、力を生み出すのです。でも、感謝がなければ熱情は失われ、活動は停止し、不満がたまります。「憐れみの器」とされた喜びを常に維持しましょう。
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2017年09月22日

ローマ9章20節

「しかし、人よ。神に言い逆らうあなたは、いったい何ですか。形造られた者が形造った者に対して、『あなたはなぜ、私をこのようなものにしたのですか』と言えるでしょうか」。

人は神から託された役割があり、その役割に応じた能力や賜物が与えられています。能力や賜物の大小より、役割の自覚のほうが大切です。人と比べず、自分が受けている役割を忠実に果たすことが、心を満ち足らせます。
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2017年09月21日

ローマ9章16節

「したがって、事は人間の願いや努力によるのではなく、憐れんでくださる神によるのです」。

願いや努力は大切です。しかし、神の憐れみなしには、何事も成就しません。神は「恵もうと思う者を恵み、憐れもうと思う者を憐れむ」方です(出エ33:19)。では、神はどんな人を憐れまれるのか。それはわかりません。ただ、結果的に、神の憐れみをムダにしない人が、憐れみを実感しているようです。
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2017年09月20日

ローマ9章3節

「もしできることなら、私の同胞、肉による同国人のために、この私がキリストから引き離されて、のろわれた者となることさえ願いたいのです」。

想像しても恐ろしいほどの愛です。主の十字架を目指す愛です。私たちはこれ程の愛を抱いたことがあるでしょうか。感情の勢いでも言えない言葉です。ただ、その崇高さにひれ伏すほかありません。でも、そう言えることを目指して同胞の救いを祈りましょう。
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