2018年02月05日

ローマ16章16節

「あなたがたは聖なる口づけをもって互いのあいさつをかわしなさい。キリストの教会はみな、あなたがたによろしくと言っています」。

今日出会う人はみな、「キリストが代わりに死んでくださったほどの人」(14:15)です。挨拶にも敬意と慈しみを込めましょう。笑顔の挨拶一つで、人をほっとさせることができます。敵意や疑心を和らげ、人間関係を改善することもできます。試してみてください。
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2018年02月03日

詩篇84篇10節

「まことに、あなたの大庭にいる一日は千日にまさります。私は悪の天幕に住むよりはむしろ神の宮の門口に立ちたいのです」。

永遠のいのちとは、主とともに暮らすことです。主の大庭(神の国)に入れば、自分の存在が主に喜ばれていることがわかります。主の家で一日過ごせば、力が全身に浸透し、生きる意味がよみがえってきます。今日、そんな永遠のいのちの一日を体験されるように、祝福します。
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2018年02月02日

詩篇84篇6節

「彼らは涙の谷を過ぎるときも、そこを泉のわく所とします」。

「涙の谷」を体験するのは、必ずしも悪いことではありません。悪いのは、神がおられないかのように絶望することです。「心の中にシオン(神の都)への大路がある人」(5)は、涙の先に希望を見ています。今日の「涙の谷」は明日の「いのちの泉」です。絶望的な悲しみを、希望のある悲しみに変えましょう。主は涙を涙で終わらせない方です。
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2018年02月01日

詩篇83篇1節

「神よ。沈黙を続けないでください。黙っていないでください。神よ。じっとしていないでください」。

迫り来る敵を前にした人の絶望的な叫びです。あなたの祈りには、この必死さがありますか。必死さとは、主にだけ頼って後には引かないという姿勢です。万策尽きた後の「藁にもすがる」思いのことではありません。主の沈黙を打ち破ろうとする熱情です。主がじっとしておられなくなるような祈りです。
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