2018年06月07日

詩篇118篇18節

「主は私を厳しく懲らしめられた。しかし、私を死に渡されなかった」。

主が懲らしめられるのは、私たちが死なないためです。怪我をすれば痛みが生じるように、悪をなせば争いや不安が生じます。主の懲らしめを軽んじてはなりません。懲らしめを懲らしめとして真摯に受け止め、主の御心に沿って悲しむなら、たましいは息を吹き返します。私たちは、主から来る痛みによって守られているのです。
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2018年06月06日

詩篇118篇6、7節

「主は私の味方。私は恐れない。人は、私に何ができよう。主は、私を助けてくださる私の味方。私は、私を憎む者をものともしない」。

主は、打ち砕かれた心で主に近づく者の味方です。主が味方なら、誰をも恐れずにすみます。それゆえ、悪意を持つ人に「刃」を向けてはなりません。かえって心に恐れが生じます。大切なのは、自分が主の側に立っているか問うことです。それが悔い改めです。
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2018年06月05日

詩篇117篇

「すべての国々よ。主をほめたたえよ。すべての民よ。主をほめ歌え。その恵みは、私たちに大きく、主のまことはとこしえに至る。ハレルヤ」。

主の恵みは、今も昔も大河のように流れています。私たちが主をほめたたえることを忘れても、恵みは変わることなく、梅雨の日の雨のように降り注いでいます。主は、祝福の契約に忠実な方です。私たちが主に向かって賛美するとき、それに気づきます。
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2018年06月04日

詩篇116篇12、13節

「主が、ことごとく私に良くしてくださったことについて、私は主に何をお返ししようか。私は救いの杯をかかげ、主の御名を呼び求めよう」。

主の祝福へのお返しは、主の御名をあがめ喜ぶことです。「私の願い」よりも「主の願い」を求めます。「私は主に何を期待するか」よりも、「主は私に何を期待されるか」と問います。主体を私から主に転換して祈れば、主のご計画が私たちにも実現し始めます。
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2018年06月02日

詩篇115篇1節

「私たちにではなく、主よ、私たちにではなく、あなたの恵みとまことのために、栄光を、ただあなたの御名にのみ帰してください」。

自分への称賛を求めて行動すれば、かえって恥を受け、自分を忘れて主の栄光を求めれば、思わぬ誉れが主から返ってきます。主の真っ直ぐな道を歩めば、自ずから主の御名を讃えたくなります。
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