2018年08月14日

詩篇134篇2節

「聖所に向かってあなたがたの手を上げ、主をほめたたえよ」。

主の御前で自分の理屈を説明するだけでは、祈りも賛美にもなりません。主に向かって両手を上げれば、自ずから賛美が始まります。主をほめたたえることから、主の恵みがあふれ出します。心の濁りが消え、喜びが湧き出します。心の中の繰り言は何も生みだしません。心を一新したいなら、まず主に向かって手を上げましょう。
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2018年08月13日

詩篇133篇1節

「見よ。兄弟たちが一つになって共に住むことは、なんという幸せ、なんという楽しさであろう」。

聖書の神は父、子、聖霊が一つなる神、交わる神です。「神のかたち」に創造された人間も、仕え合って一つになることが仕合せなのです。自己中心では、その喜びは味わえません。謙虚でなければ、仕合せにはなれません。もう一回り心を広くしませんか。寛容な心が、人をも自分をも幸せにします。
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2018年08月11日

Iコリント15章33節b、34節a

「友だちが悪ければ、良い習慣がそこなわれます。目をさまして、正しい生活を送り、罪をやめなさい」。

世と調子を合わせ、信仰を譲歩させてはなりません。ひとたび譲れば、御言葉を学ぶ、祈る、礼拝するという良き習慣が崩れていきます。自分は大丈夫と思う高慢が落とし穴になります。少なくともひとりは聖霊に満たされた人を友にしましょう。聖霊は私たちの心に働いて、悪い習慣を断ち切ります。
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2018年08月10日

Iコリント15章31節a

「私にとって、毎日が死の連続です」。

パウロは迫害や患難の中で、「生きることはキリスト、死ぬこともまた益」という境地に入り、主の戦いを戦い抜きました。毎日が死の連続でしたが、死んでも生きるという確信で戦ったのです。この境地に立てば、人の評価を恐れず、些細な出来事にも振り回されず、悠然としていられます。私たちは世に対しては死にました。そして、キリストと共に生きているのです。
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2018年08月09日

Iコリント15章26節

「最後の敵である死も滅ぼされます」。Iコリント15章26節

死ねば全て終わりなら、「明日は死ぬのだ。さあ、飲み食いしようではないか」(32)となります。しかし、死が滅ぼされるのなら、主を信じる私たちは永遠に生きます。ならば当然、永遠という視点で物事の価値や意味を判断し、行動するでしょう。刹那的な生き方はしないし、一時的なことに人生を懸けることもしません。この視点で、自分の人生を見直しませんか。
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