2018年10月20日

第二コリント5章21節

「神は、罪を知らない方を、私たちの代わりに罪とされました。それは、私たちが、この方にあって、神の義となるためです」。

私たちは、自分の罪をキリストに着せ、キリストのいのちをいただき、義なる者として堂々と生きています。しかし、これこそが神の願われたことです。キリストの払われた犠牲を無駄にしてはなりません。無駄にしているかいないかは、私たちの生き方に表れています。
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2018年10月19日

第二コリント5章18節

「神は、キリストによって、私たちをご自分と和解させ、また和解の務めを私たちに与えてくださいました」。

私たちは、キリストが大祭司である「祭司の王国」(出エ19:6)に暮らし、私たちも祭司としての「和解の務め」を託されています。その務めは、人を神との和解に導くことです。そのために、挨拶する、事情を理解する、一緒に食事をするなど、できることから具体的に始めてみませんか。
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2018年10月18日

第二コリント5章17節

「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました」。

私たちは「古い人」を脱ぎ捨てました。もう「古い人」を懐かしがってはなりません。主は「新しい人」になった私たちのために、新しい計画を用意されています。まず、その恵みに感謝し喜びする暮らしに馴染みましょう。何事も恵みからしか始まらないからです。
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2018年10月17日

第二コリント5章16節a

「私たちは今後、人間的な標準で人を知ろうとはしません」。

生まれ、能力、外見、学歴、地位、給料という基準で自分や人を量ることを止めれば、この世の縛りから自由になれます。妬みも傲慢も卑屈も生じなくなります。御霊の実を基準で見るようになれば、成功失敗の判断はまったく変わります。人間の一時的な基準で量るか、主の永遠の基準で量るかで、正反対の人生を歩むことになります。
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2018年10月16日

第二コリント5章8節

「私たちはいつも心強いのです。そして、むしろ肉体を離れて、主のみもとにいるほうがよいと思っています」。

今この地上で、主と共に生きる喜びを味わっている人だけが言える言葉です。地上を去って主のもとに行くことを願うのは、けっして苦しみから逃れるためではありません。主が共におられるなら、どんな試練にも耐えられるのです。天であろうと地であろうと、主は共におられるのです。
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