2018年11月13日

第二コリント7章10節

「神の御心に添った悲しみは、悔いのない、救いに至る悔い改めを生じさせますが、世の悲しみは死をもたらします」。

クリスチャンにも悲しみがあります。しかし、主を知らないかのように、絶望的な悲しみ方はしません。感情的に「絶望だ」と泣き叫んでも、心のどこかに希望を潜ませています。クリスチャンは悲しみの中に、余裕を残しているのです。その余裕で、悲しみをありのまま主に告げます。
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2018年11月12日

第二コリント7章4節

「私のあなたがたに対する信頼は大きいのであって、私はあなたがたを大いに誇りとしています。私は慰めに満たされ、どんな苦しみの中にあっても喜びに満ちあふれています」。

人からこのように言われたら嬉しいですね。その信頼と誇りに応えたいと思います。もちろん、誰よりも私たちの存在を喜んでおられるのは主です。私たちが自分に失望しても、主は私たちに期待し、道を用意しておられます。
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2018年11月10日

イザヤ9章6節

「ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。ひとりの男の子が、私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は『不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君』と呼ばれる」。

メシヤ降誕の予告です。イザヤの時代のユダの人々が何百年と待ち望んだ救い主を、私たちが「地の果て」の日本でいただいています。その感動を繰り返し新たにすることで、神の国の祝福は広がっていきます。
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2018年11月09日

イザヤ9章2節

「闇の中を歩んでいた民は、大きな光を見た。死の陰の地に住んでいた者たちの上に光が照った」。

人生には闇に閉ざされるときがあり、死の陰に脅かされることがあります。しかし、大いなる光が昇ろうとしています。人には「一寸先は闇」でも、主には「一寸先は光」です。自分の不遇を恨み、人の幸福を妬むなら、主の光が輝く時を遅らせます。主を喜ぶ人は、光の兆しを見て行動を始めます。
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2018年11月08日

イザヤ8章13節

「万軍の主、この方を、聖なる方とし、この方を、あなたがたの恐れ、この方を、あなたがたのおののきとせよ」。

人からの評価を恐れてはいませんか。私たちが謙虚でありさえすれば、人の評価を恐れる必要はありません。何かを失うことを恐れていませんか。主を畏れているなら、私たちから奪い取られるものは何もありません。もともと消えてなくなってしまうものが、消えていくだけのことです。
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