2018年12月19日

イザヤ26章3節

「志の堅固な者を、あなたは全き平安のうちに守られます。その人があなたに信頼しているからです。いつまでも主に信頼せよ。ヤハ、主は、とこしえの岩だから」。

「主はとこしえの岩」なのですから、自分のためだけの目先の願いではなく、人と分かち合え、人々を祝福する志を持ちたいですね。主はそれを喜ばれ、平安を与えられます。個人的な願いも、その大きな志の中で、扱ってくださいます。
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2018年12月18日

イザヤ25章9節

「その日、人は言う。『見よ。この方こそ、私たちが救いを待ち望んだ私たちの神。この方こそ、私たちが待ち望んだ主。その御救いを楽しみ喜ぼう』」。

イザヤの時代の人々は、どんなにキリストを待ち焦がれたことか。今、私たちはその方を迎え入れています。その御救いを楽しみ喜ぶことは、彼らに対する私たちの責務です。そして、この喜びを同世代に広げ、次世代に相続させることもそうです。
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2018年12月17日

イザヤ25章8節

「(万軍の主は)永久に死を滅ぼされる。神である主はすべての顔から涙をぬぐい、ご自分の民へのそしりを全地の上から除かれる」。

それゆえ、不治の病気も老後も、死も別離も、絶望ではないのです。絶望とは創造主を知らないこと、永遠のいのちを得ていないことです。主を知っているなら、希望がないかのように明日を思い煩いはしません。ただ、今日なすべきことを、喜びながら行います。
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2018年12月15日

第2コリント13章5節ab

「あなたがたは信仰に立っているかどうか、自分自身を試し、また吟味しなさい。それとも、あなたがたのうちにはイエス・キリストがおられることを、自分で認めないのですか」。

私たちの内に住まわれる主を畏れていますか。自分の信仰を吟味してから行動するように心がければ、自ずから失敗は減ります。そして、心に浮かぶ考え、口の言葉、体の行いに、主の慈しみがにじみ出るようになります。
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2018年12月14日

第2コリント12章10節

「私はキリストのために、弱さ、侮辱、苦痛、迫害、困難に甘んじています。なぜなら、私が弱いときにこそ、私は強いからです」。

パウロはなぜ弱さや屈辱に甘んじることができたのか。それは、自分のためではなく主のために耐えたからです。自分のためならストレスや怒り溜まります。主のための忍耐なら、品性が練られ、希望と喜びを生み出します。その結果、弱いときにこそ私は強いと言えます。
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