2019年01月23日

イザヤ30章18節

「それゆえ、主はあなたがたに恵もうと待っておられ、あなたがたを憐れもうと立ち上がられる」。

主が恵みと憐れみをもって待ち構えておられるなんて、心がふるえるではありませんか。私たちがなすべきことは、この約束の言葉を信じ、「主よ、私たちのために立ち上がってください。ご自身の栄光を現してください」と祈ることです。主は、涙をもって叫び求める者を放ってはおかれません。
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2019年01月22日

イザヤ30章15節

「立ち返って静かにすれば、あなたがたは救われ、落ち着いて信頼すれば、あなたがたは力を得る」。

恐れは人を闇で閉ざし、煽り立て、判断力を奪います。黒雲が覆っても太陽はその上に輝いているように、主の光も変わらずあなたに注いでいます。心を騒がせず、心を静めて待てば光は回復します。自分を見つめていても解決はありません。主が求めておられるのは、主を見つめることです。
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2019年01月21日

イザヤ29章24節

「心の迷っている者は悟りを得、つぶやく者も教えを学ぶ」。

迷いは恐れを生み、恐れはさらなる迷いに導きます。つぶやきは恵みの流れを止め、恵みが滞れば不平の種が増えます。主は、この悪循環を断ち、恵みと感謝という祝福の循環に切り換えるよう教えておられます。主に学ぶとは、口を閉じ心のつぶやきを黙らせ、御言葉を聞くことです。心に舞い上がったホコリが収まり、視界が開けてきます。
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2019年01月19日

ガラテヤ2章20節b

「いま私が肉にあって生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです」。

人は自分を生かそうという習性があります。しかし主が望んでおられるのは、キリストを生きること、キリストに生かされることです。自分を生かそうとすると、失望や高慢や卑屈が伴いやすくなります。しかし、キリストを生きるなら、喜び、平安、謙遜のみが伴います。
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2019年01月18日

ガラテヤ2章20節a

「私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです」。

今や、キリストが私たちを生きておられます。罪の奴隷であった「古い私」はもう死にました。その亡霊に支配されてはなりません。「古い私」にはできなかった正しいことが、「新しい私」にはできます。しようと思えば、キリストができるようにしてくださいます。
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