2019年02月20日

イザヤ40章6b〜8節

「すべての人は草、その栄光は、みな野の花のようだ。主の息吹がその上に吹くと、草は枯れ、花はしぼむ。まことに民は草だ。草は枯れ、花はしぼむ。だが、私たちの神のことばは永遠に立つ」

世の風潮に翻弄されてはなりません。今は盛んでもやがて衰えます。年齢より若く見えても本質的な価値はありません。御言葉に立つなら、内なる人は日々新たにされます。永遠なるものに目を留めましょう。

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2019年02月16日

ガラテヤ5章1節

「キリストは、自由を得させるために、私たちを解放してくださいました。ですから、あなたがたは、しっかり立って、またと奴隷のくびきを負わせられないようにしなさい」

怒りや我欲にしばられていませんか。失望や恐れにしばられていませんか。キリストが与えてくださった自由は、見てはならないものを見ない自由、ののしりたくてもののしらない自由、絶望状態でもなお希望を持ち続ける自由です。
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2019年02月15日

ガラテヤ4章19節

「あなたがたのうちにキリストが形造られるまで、私は再びあなたがたのために産みの苦しみをしています」

産みの苦しみには、「キリストが形造られる」という喜びが伴います。産み出す方も産み出される方も、ともに苦しみます。しかし、ゴールが見えている苦しみです。つらくても耐えられます。もし途中で諦めてしまうなら、それまでの苦しみは、単なる苦しみのままで終ってしまいます。
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2019年02月14日

ガラテヤ4章8、9節

「しかし、神を知らなかった当時、あなたがたは本来は神でない神々の奴隷でした。ところが、今では神を知っているのに、いや、むしろ神に知られているのに、どうしてあの無力、無価値の幼稚な教えに逆戻りして、再び新たにその奴隷になろうとするのですか」

世の教えは賢そうでも、究極的には幼稚で虚無です。神の豊かさを十分には味わえば、世の教えに戻ろうとは思わなくなります。
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2019年02月13日

ガラテヤ4章6節

「あなたがたは子であるゆえに、神は『アバ、父』と呼ぶ、御子の御霊を、私たちの心に遣わしてくださいました」

神の子どもたちは、御子と同じように、神を「お父さん」と呼ぶことができます。「放蕩息子」のたとえのように、父は、子のできの良し悪しよりも、父の懐に飛び込んでくる子がかわいいのです。子として父の愛をそのまま信じることができれば、もっと神の国の祝福を体験できます。
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