「あなたは左わきを下にして横たわり、イスラエルの家の咎を自分の身の上に置け。あなたがそこに横たわっている日数だけ彼らの咎を負え」。
エゼキエルはイスラエルの390年分の過ちを負って、390日間横たわります。さらにユダの家のために40日間伏します。同胞に主の思いを伝えるための苦痛のパフォーマンスです。私たちも、人に理解されずとも果たすべき役割を、主から託される時があります。
2019年10月30日
エゼキエル3章18節
「わたし(主)が悪者に、『あなたは必ず死ぬ』と言うとき、もしあなたが彼に警告を与えず、悪者に悪の道から離れて生きのびるように語って、警告しないなら、その悪者は自分の不義のために死ぬ。そして、わたしは彼の血の責任をあなたに問う」。
私たちは神の恵みと希望を語るだけでなく、裁きの警告もしなければなりません。悔い改めの機会を用意していくことも、私たちの重要な務めです。
私たちは神の恵みと希望を語るだけでなく、裁きの警告もしなければなりません。悔い改めの機会を用意していくことも、私たちの重要な務めです。
2019年10月29日
2019年10月26日
1テサロニケ2章20節
「あなたがたこそ私たちの誉れであり、また喜びなのです」。
これは最高の賛辞であり愛の表現です。家族や友人からこんなことを言われれば、どんなに嬉しいでことしょう。ならば、私たちもそう言うべきなのです。えっ、そんなこと言ったら嘘になる?いいえ。主も、こんな私たちをご自身の喜びとされているのです。信じ期待していうなら、それは嘘ではありません。信じる通りになる日が来ます。
これは最高の賛辞であり愛の表現です。家族や友人からこんなことを言われれば、どんなに嬉しいでことしょう。ならば、私たちもそう言うべきなのです。えっ、そんなこと言ったら嘘になる?いいえ。主も、こんな私たちをご自身の喜びとされているのです。信じ期待していうなら、それは嘘ではありません。信じる通りになる日が来ます。
2019年10月25日
Iテサロニケ2章8節
「このようにあなたがたを思う心から、ただ神の福音だけではなく、私たち自身のいのちまでも、喜んであなたがたに与えたいと思ったのです」。
異国の人々に命までも与えたいと願った、パウロらの熱情には圧倒されます。自分の自己中心さを思い知らされます。「命さえも与えたい」という熱情は、どこから生まれるのでしょうか。十字架の愛を深く知り、主の願いと心が一つになることでしょうか。
異国の人々に命までも与えたいと願った、パウロらの熱情には圧倒されます。自分の自己中心さを思い知らされます。「命さえも与えたい」という熱情は、どこから生まれるのでしょうか。十字架の愛を深く知り、主の願いと心が一つになることでしょうか。