2019年03月23日

イザヤ44章22節

「わたしは、あなたのそむきの罪を雲のように、あなたの罪を霞のようにぬぐい去った。わたしに帰れ。わたしは、あなたを贖ったからだ」。

もし自分の罪は重すぎて主の十字架でも贖えないと思うなら、それは謙遜ではなく、むしろ高慢であり自慢です。そして、主の愛に対する冒涜です。私たちに必要なのは、常にへりくだりと素直さです。そうすれば、主に扱われやすい人間になることができます。
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2019年03月21日

イザヤ44章8節

「恐れるな、おののくな。わたしが、もう古くからあなたに聞かせ、告げてきたではないか。あなたがたはわたしの証人。わたしのほかに神があろうか。ほかに岩はない」。

イスラエルは、歴史の中で神の偉大さを体験してきた民族です。それゆえ、どんな事態でも恐れる必要がないことを知っています。私たちもその継承者であり、神の偉大なわざを追体験します。何も恐れる必要はないのです。
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2019年03月20日

イザヤ43章25節

「わたし、このわたしは、わたし自身のためにあなたの背きの罪をぬぐい去り、もうあなたの罪を思い出さない」。

なのに、私たちの方で進んで自分の罪を思い出し、その罪に苦しむとすれば愚かなことではありませんか。赦された罪はもう忘れて、主の恵みに感謝すればいいのです。そうすれば私たちも、自然に人の罪を忘れられるようになります。忘れることは、私たち自身の解放となります。
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