2019年03月15日

ガラテヤ6章9節

「善を行うのに飽いてはいけません。失望せずにいれば、時期が来て、刈り取ることになります」。

正しい行いをして報われず、愛して実を結ばないこともあります。それでも失望せずに実践し続けるのが、キリストに倣う者の姿勢です。義は侮辱に屈せず、愛は拒絶を恐れません。刈り取りは主が決められることです。私たちにとって大切なのは、「その時が来る」と信じてあきらめないことです。
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2019年03月14日

ガラテヤ6章7節

「思い違いをしてはいけません。神は侮られるような方ではありません。人は種を蒔けば、その刈り取りもすることになります」。

神に逆らっても今まで大丈夫だったから、これからも大丈夫だと思ってはなりません。神は忍耐と寛容で悔い改めを待っておられるのです。悔い改めが遅れれば、その分、深い悲しみを刈り取ることになります。取り返しがつくうちに、悪い種は芽の段階で摘みとるのです。
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2019年03月13日

ガラテヤ6章3節

「立派でもない自分を何か立派でもあるかのように思うなら、自分を欺いているのです」。

自分の品性や日頃の言動をよく吟味すれば、誇れるものは何もないとわかります。だからこそ主に自分を丸投げし、新しく造り上げていただくのです。「風を切りどんなに早く走れても偉いのはマシンさ、オレはただのバカ」(暴走族)。この謙遜は大切です。偉大なのは主です。私たちはただの「痛んだ葦」です。
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2019年03月12日

ガラテヤ6章1節

「兄弟たちよ。もしだれかが過ちに陥ったなら、御霊の人であるあなたがたは、柔和な心でその人を正してあげなさい。また、自分自身も誘惑に陥らないように気をつけなさい」。

人の罪を正す時は、誘惑の時でもあります。自分も罪人であるという謙虚さを失い、同じ罪に陥りやすくなるからです。高慢は、罪に対して無防備にさせます。人の過ちを指摘する時は、自分自身の悔い改めの時でもあります。
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2019年03月11日

ガラテヤ5章25、26節

「もし私たちが御霊によって生きるのなら、御霊に導かれて、進もうではありませんか。互いにいどみ合ったり、そねみ合ったりして、虚栄に走ることのないようにしましょう」。

聖霊に導かれている人は謙遜です。謙遜になれば妬みも虚栄も消えます。しかし、聖霊を封じれば高慢になります。謙遜こそが聖霊に満たされているしるしなのです。聖霊は、へりくだった人が一番用いやすいからです。
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