2018年05月18日

Iコリント9章19節

「私はだれに対しても自由ですが、より多くの人を獲得するために、すべての人の奴隷となりました」。

人々を神の国に招き入れるために、あえて自分のあり方を捨て、相手に合わせて、御言葉が許す範囲で何にでもなれる。それがクリスチャンの自由です。自由は、自分を現すためではなく、キリストを表現するために与えられます。自分が隠され、キリストだけが伝わるのが、自由の最良の成果です。
posted by e-grape at 07:24| All | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年05月17日

Iコリント8章8節

「しかし、私たちを神に近づけるのは食物ではありません。食べなくても損にはならないし、食べても益にはなりません」。

益にも損にもならないことで、迷ったり議論したりすることは、信仰者にふさわしくありません。食物は感謝して食べ、あるいは食べなければいいのです。むしろ、何が神に近づけ、何が遠ざけるかを考えて、行動を選びましょう。神に喜ばれる選択をすることが、神に近づけます。
posted by e-grape at 07:05| All | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年05月16日

Iコリント8章2、3節

「人がもし、何かを知っていると思ったら、その人はまだ知らなければならないほどのことも知ってはいないのです。しかし、人が神を愛するなら、その人は神に知られているのです」。

神に愛され、神を愛し、神に知られている、それで心は十分満ち足りている。これが真の知識です。この知識以外に、世の知識がいくらあっても、何も知らないに等しいのです。世の知識ではたましいは救えないからです。
posted by e-grape at 07:04| All | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年05月15日

Iコリント8章1節b

「知識は人を高ぶらせ、愛は人の徳を建てます」。

神を認めない知識は人を傲慢にし、神に信頼する知識は謙遜にします。愛のない知識は破壊と虚無に導きます。お金も知識も能力も、愛が動機になってはじめて、人の徳を高め、希望の言葉を生み出します。知識や能力の量で人に負けてもいいのです。それが人を高ぶらせるなら、ない方がいいのです。主にも人にも喜ばれるのは、愛する心と謙遜な態度です。
posted by e-grape at 07:45| All | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年05月14日

Iコリント7章31節

「世の富を用いる者は用いすぎないようにしなさい。この世の有様は過ぎ去るからです」。

お金も、知識も、良い評判も増え始めると楽しくなります。しかし、増えても飢えるばかりです。狐が細い体で狭い垣根からブドウ畑に入り、たらふく食べて太り、また数日体をやせ細らせて隙間から外に出た、という話と同じようになります。世の富や知識は、それを用いて永遠に価値あるものを残すためにあります。
posted by e-grape at 07:35| All | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする