2019年01月17日

ガラテヤ2章16節b

「これは、律法の行いによってではなく、キリストを信じる信仰によって義と認められるためです」。

自分は罪人の頭だと本気で認めているのなら、人を裁かないはずです。恵みによって救われたと心から感謝しているのなら、その喜びがあふれているはずです。信仰が言葉にも手足にも現れていないなら、まだ信仰義認の恵みが実感されていないのです。少なくとも、謙遜な態度をとりたいものです。
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2019年01月16日

ガラテヤ2章16節a

「しかし、人は律法を行うことによってではなく、ただイエス・キリストを信じることによって義と認められると知って、私たちもキリスト・イエスを信じました」。

異邦人には良心が与えられていて、その良心が正しい行いを命じます(ロマ2:14、15)。しかし、その正しい行いができません。そんな自分を惨めに感じてはじめて、キリストの恵みがわかります。自分への失望がキリスト信仰を深めます。
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2019年01月15日

ガラテヤ2章6節・挿入句

「彼らがどれほどの者であっても、私にとって問題ではありません。神は人を分け隔てなさいません」。


福音の真理の前でなら、相手が誰であろうと恐れることはありません。常に泰然としていましょう。神は人を、地位や学識や経験の多少で区別されないからです。福音はすべての罪人を平等にします。ただ大切なことは、救いの真理に堅く立つこと、そしてへりくだって相手の人格を敬うことです。
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2019年01月14日

ガラテヤ2章5節

「私たちは、一時も彼らに譲歩したり屈服したりすることはありませんでした。それは、福音の真理があなたがたのもとで保たれるためでした」。

「真理に立つ」と言っても、人間の理屈や自分の心情に合わせて聖書を解釈していたのでは、真理の力は生み出されません。人間の教えは賢そうでも、永遠のいのちにはつながらないのです。御言葉の愚かさにこそ、恵みと力があることを忘れてはなりません。
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2019年01月12日

イザヤ29章18節

「その日、耳の聞こえない者が書物のことばを聞き、目の見えない者が暗黒と闇の中から物を見る」。

もう不可能だとあきらめていたことが、突如として実現する日が来ます。閉ざされていた門が開かれ、キリストの恵みが注がれる日です。ですから、苦しみもがいても、キリストに期待することを決して止めてはなりません。信仰の火を灯し続けている人のために、恵みの日が用意されています。
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