2017年08月09日

ローマ7章15節

「私には、自分のしていることがわかりません。私は自分がしたいと思うことをしているのではなく、自分が憎むことを行っているからです」。

自分の望む善を行えず、憎む悪を行ってしまうという矛盾。「自分のしていることがわからない」。それが罪人の姿です。でも、神はそれをご存知の上で私たちを受け入れ、役に立つ者に変えてくださいます。ただ主の憐みを喜び、この恵みに立ち続けましょう。
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2017年08月08日

ローマ7章12節

「ですから、律法は聖なるものであり、戒めも聖であり、正しく、また良いものなのです」。

律法(トーラー)とは主の教えのことであり、聖さの基準を指し示します。主の道を真っ直ぐに照らし、人生が的を外さないように守ります。しかし、外せば、罪、死、地獄です。私たちは罪の深刻さをどれほど知っているでしょうか。知っている人ほど、十字架の恵みに感謝し、主の教えに従うことを喜びとします。
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2017年08月07日

ローマ7章6節

「しかし、今は、私たちは自分を捕らえていた律法に対して死んだので、それから解放され、その結果、古い文字にはよらず、新しい御霊によって仕えているのです」。

十字架によって私たちの「古い人」は死に、「新しい人」が生まれました。もうマイナス(罪という借金)をゼロにする戦いは終わったのです。今は、ゼロにプラス(天に宝)を積むための戦いです。それは苦しみではなく、喜びです。
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2017年08月05日

詩篇36篇9節

「いのちの泉はあなたにあり、私たちは、あなたの光のうちに光を見るからです」。

私たちは世の事を学び、世の仕事をし、芸術やスポーツや自然を楽しみます。でも、「真のいのち」の喜びは主だけにあります。人がどんなに知恵と力の輝きを誇っても、「永遠の輝き」は主にしかありません。そのことを忘れるなら、世の喜怒哀楽に心をすり減らします。主の光の中で、主の造られた世界を楽しみましょう。
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2017年08月04日

詩篇36篇8節

「彼らはあなたの家の豊かさを心ゆくまで飲むでしょう。あなたの楽しみの流れを、あなたは彼らに飲ませなさいます」。

クリスチャンは主の家に住まう者です。たとえ世の戦いの中で疲れ果てても、主の家に帰れば、滴る恵みの蜜にたましいは息を吹き返します。どんな傷も癒されます。主の家とは、私たちが祈りの祭壇を築いている所であり、礼拝の時であり、主の兄弟姉妹との交わりの場です。
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