2021年03月09日

創世記39章9節c

「どうして、そのような大きな悪事をして、私は神に罪を犯すことができましょうか」。

ヨセフは奴隷の身でしたが、主人ポティファルの妻の誘惑を断固として拒絶します。その節操のゆえに投獄という理不尽な目に会いましたが、その真実のゆえに主は牢獄の中でもヨセフと共におられ、解放と栄誉の道を用意されました。誘惑に真正面からノーを突きつける者を、主は平安へと導いてくださいます。
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2021年03月08日

創世記38章26節b

「あの女は私よりも正しい」。

息子の嫁タマルが売春してみごもったと知ったユダは、激怒して「あの女を焼き殺せ」と命じます。が、実はその相手が自分だとわかると、即座に過ちを認めました。「私よりも正しい」と言えた潔さが、ユダの子孫をダビデとキリストの家系にしたのだと思います。自分の非を突きつけられたとき、自分を欺かず、素直に悔い改めるなら、平安と祝福は回復されます。
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2021年03月06日

黙示録2章10節

「あなたが受けようとしている苦しみを恐れてはいけない。・・・死に至るまで忠実でありなさい。そうすれば、わたしはあなたにいのちの冠を与えよう」。

目の前の苦難を恐れると、見えているものまでも見えなくなります。撤退するにしても、恐怖に走らされるのではなく、主に対する忠実を最後まで全うするのです。そうすれば、「主の栄光があなたのしんがりと」なってついてきます(イザヤ58:8)。
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2021年03月05日

黙示録2章4b、5a節

「あなたは初めの愛から離れてしまった。それで、あなたは、どこから落ちたかを思い出し、悔い改めて、初めの行いをしなさい」。

義の旗印だけを高く掲げすぎると、正義感から攻撃的になることがあります。愛がなければ、義の旗印も単に人を裁くだけの道具になってしまいます。私たちの信仰は主の愛を受けて始まりました。その初めの愛に立ち返れば、義と愛が両立する道が開かれていきます。
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2021年03月04日

黙示録2章3節

「あなたはよく忍耐して、わたしの名のために耐え忍び、疲れたことがなかった」。

忍耐しても疲れないのは、「聖霊による喜び」を知っているからです。喜びを失うと、何をしても疲れます。キリストは「ご自分の前に置かれた喜びのゆえに」(ヘブ12:12)、辱めをものともせずに十字架を忍ばれました。この方が私たちの心に喜ぶ余裕をくださいます。気が重いことでも、喜べる理由が見つかります。
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