2019年05月31日

イザヤ58章13、14節a

「もし、あなたが安息日に出歩くことをやめ、わたしの聖日に自分の好むことをせず、安息日を『喜びの日』と呼び、主の聖日を『はえある日』と呼び、これを尊んで旅をせず、自分の好むことを求めず、むだ口を慎むなら、そのとき、あなたは主をあなたの喜びとしよう」。

聖日を1週間の軸として据え、主を礼拝して過ごすことが、結局、災いから守られ、祝福と喜びをもたらすことになります。
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2019年05月30日

イザヤ58章6節

「わたしの好む断食は、これではないか。悪の絆を解き、くびきの縄目をほどき、虐げられた者たちを自由の身とし、すべてのくびきを砕くことではないか」。

断食の本来の意味は「口を覆い、主の前にへりくだる」ことです。人に信仰をアピールすることでも、自分の願いを主にかなえてもらうための手段でもありません。自分の口を塞ぎ、身を切って、人々に恵みを施すことを、主は喜ばれます。
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2019年05月28日

イザヤ57章15節b

「わたしは高く聖なる所に住み、心砕かれて、へりくだった人とともに住む。へりくだった人の霊を生かし、砕かれた人の心を生かすためである」。

心打ち砕かれた人は、主にとって扱いやすく、生かしやすい人です。自分の弱さを自覚しているので、主に祈ります。祈らないのは高慢です。「神なしでやっていける」と思っているからです。主にとっても、へりくだった人は居心地がいいのです。
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2019年05月27日

イザヤ56章2節

「幸いなことよ。安息日を守ってこれを汚さず、どんな悪事にもその手を出さない、このように行う人、これを堅く保つ人の子は」。

私たちが安息日を守るのは、主の命令だからです。安息日を守ることに益があると知ったからではありません。主の教えだから従うのです。自分の感じ方、考え方、都合を優先せず、主を第一にします。それが信仰です。主を第一にすることが結果的に、祝福となるのです。
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2019年05月25日

エペソ5章1節

「愛されている子どもらしく、神にならう者となりなさい」。

この世は「自分らしさ」を追求しますが、私たちは「神の子どもらしさ」を追求します。「自分らしさ」を求めるといっても、いったい何を理想として、誰に倣えばいいのでしょう。しかし、私たちにはキリストという明確で完全なモデルがあります。人は見つめているものに似ていきます。私たちはキリストを見つめながら歩みます。
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