2018年06月25日

Iコリント12篇24節

「また、私たちは、からだの中で比較的に尊くないとみなす器官を、ことさらに尊びます。こうして、私たちの見ばえのしない器官は、ことさらに良いかっこうになりますが、かっこうの良い器官にはその必要がありません。しかし神は、劣ったところをことさらに尊んで、からだをこのように調和させてくださったのです」。

体に弱さを持つ人はその部分をかばい、かえって健康的な生活をします。神も教会の弱い部分を大事にし、全体を強くされます。
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2018年06月23日

詩篇119篇50節

「これこそ悩みのときの私の慰め。まことに、みことばは私を生かします」。

悩みや悲しみで心が揺れ動いても、感情に人生の主導権を握らせてはなりません。主の言葉以外に解決を求めてはならず、キリストに立たない人に忠告を求めてもなりません。気晴らしで一時的に心が休まったとしても、解決にはなっていません。結局、真の慰めはキリスト、私たちを生かすのは聖書の教えだけなのです。
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2018年06月22日

詩篇119篇45節

「そうして私は広やかに歩いて行くでしょう。それは私が、あなたの戒めを求めているからです」。

主の戒めは、私たちを自由にします。縛ると思うのは誤解です。盗まず、貪らず、偽らず、妬まずに生きたれたら、どんなに広々とした世界に羽ばたけるでしょう。人を憎まず、赦しただけで、どんなに心が自由になるでしょう。主の教えを喜びとするだけで、聖霊が縛りから解放してくださいます。
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2018年06月21日

詩篇119篇34節

「私に悟りを与えてください。私はあなたのみおしえを守り、心を尽くしてそれを守ります」。

悟りは恵みです。主の教えに従おうという信仰のある人なら、求めれば与えられます。そして、悟りを得たら、主に従うことが喜びになります。しかし、人間には「悟りえないこと」(ヨブ42:3)もあります。それを弁えることも、また悟りです。主の栄光を現すための悟りは、聖書の中に必ず見出せます。
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2018年06月20日

詩篇119篇25節

「私のたましいは、ちりに打ち伏しています。あなたのみことばのとおりに私を生かしてください」。


くずおれた心で主の前にひれ伏すことが、希望の始まりです。打ち伏した瞬間から、喜びが芽生えています。主の憐れみが臨み、主の霊が堅く支え始めます。私たちがそのときどう感じようが、それが主の創り出される現実です。私たちのなすべきことは、その現実を信じ、主を喜ぶことです。
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